ザ・ドリフターズのメンバーとして長年活躍してきた高木ブーさん。そんな高木さんの奥さんは、一般女性の福本喜代子(ふくもと・きよこ)さんです。2人は1962年2月1日に結婚し、約30年以上にわたる夫婦生活を送りました。しかし、喜代子さんは1994年3月25日、58歳という若さで脳腫瘍のため亡くなっています。
2人の出会いはダンスパーティーでした。結婚後には一人娘のかおるさんが誕生し、夫婦で江戸川公園を散歩したり、毎年ハワイ旅行を楽しんだりするなど、穏やかな家庭を築いていました。高木さんが今も大切にしている豪華客船クイーン・エリザベス2世号での思い出や、2024年に報告した妻の30回忌、そして93歳を迎えた2026年現在の暮らしまで、夫婦の歩みを振り返ります。
【結論】高木ブーの奥さんは福本喜代子さん!どんな女性だった?
高木ブーさんの奥さんは、福本喜代子さんです。高木さんより3歳年下で、結婚前は一般女性として生活していました。
高木さんの回想によると、喜代子さんは眼科の秘書として働いていた女性です。芸能界とは関係のない一般人だったため、テレビ出演や芸能活動をしていた人物ではありません。
2人の結婚生活を知るうえで重要なのは、喜代子さんが高木さんの芸能活動が軌道に乗る前から、家庭を支えていたことです。
当時の高木さんは、バンドマンとして活動していたものの、収入が安定していたわけではありません。喜代子さんは得意だった洋裁を生かして内職をし、家計を助けていました。
高木さんも洋裁を手伝うことがあったと、2021年の女性自身のインタビューで振り返っています。
その後、高木さんはザ・ドリフターズに加入し、国民的な人気を獲得します。仕事が忙しくなるなかでも、喜代子さんは家庭を守り、一人娘を育てました。
高木ブーと喜代子さんの基本プロフィール
2人の関係を整理すると、次のようになります。
- 夫:高木ブーさん
- 妻:福本喜代子さん(結婚後は高木喜代子さん)
- 年齢差:3歳
- 結婚年月日:1962年2月1日
- 子供:一人娘のかおるさん
- 妻の死去:1994年3月25日
- 妻の享年:58歳
- 死因:脳腫瘍
高木さんは喜代子さんとの結婚後、離婚や再婚を経ることなく、妻との死別を経験しました。
なお、2009年には高木さんの再婚をめぐる報道がありましたが、所属事務所は結婚予定を否定しています。ORICON NEWSも当時の事務所の回答を報じています。
【馴れ初め】高木ブーと妻・福本喜代子さんはダンスパーティーで出会った
高木ブーさんと喜代子さんの出会いは、知人が主催したダンスパーティーでした。
高木さんは当時の喜代子さんについて、すらりとしたスタイルで、モダンな雰囲気を持つ女性だったと振り返っています。高木さんにとっては一目惚れに近い出会いだったようです。
約5年間の交際と、喜代子さんの実家で過ごした時間
2人は出会ってすぐに結婚したわけではありません。約5年間の交際期間を経て、1962年に夫婦となりました。
2020年8月に掲載された介護ポストセブンのインタビューでは、高木さん自身が交際当時の思い出を語っています。
デートは喜代子さんの実家で過ごすことが多く、高木さんが訪問すると、お寿司を用意してもらうこともあったそうです。
さらに印象的なのが、喜代子さんの家族によるもてなしでした。祖母が三味線を弾き、妹が日本舞踊を披露してくれるなど、温かく迎えてくれたといいます。
こうした家庭的な雰囲気も、2人の交際を深めるきっかけになったのでしょう。
結婚には両親が反対。それでも喜代子さんが選んだ相手
交際が順調だった一方で、結婚には大きな壁がありました。
喜代子さんの実家は由緒ある家柄でした。当時の高木さんは収入が安定しないバンドマンだったため、喜代子さんの両親や祖父は結婚に反対していたといいます。
交際中は温かく迎えてくれても、娘の結婚相手となると話は別だったのでしょう。
しかし、喜代子さんは結婚する意思を変えませんでした。祖母も高木さんの人柄を認め、2人の結婚を後押ししたと高木さんは回想しています。
驚くことに、結婚式当日の朝にも、喜代子さんの母親は結婚を思いとどまるよう声をかけたそうです。それでも喜代子さんは決意を変えませんでした。
不安定な生活を送るミュージシャンとの結婚を選んだ喜代子さん。その決断が、後の高木さんの長い芸能人生を支えることになります。
【夫婦の歩み】1962年の結婚から一人娘の誕生、ドリフ加入まで
高木ブーさんと喜代子さんが結婚したのは、1962年2月1日です。当時、高木さんは28歳、喜代子さんは25歳でした。
結婚後、2人は家庭を築き、1964年1月2日には一人娘のかおるさんが誕生します。
高木さんがザ・ドリフターズに加入したのも、この時期です。加入を迷っていた高木さんの背中を押したのは、妻の喜代子さんだったといいます。
高木ブーと妻、娘の家族年表
夫婦の結婚から現在までの主な出来事を時系列で整理しました。
| 時期 | 人物・出来事 | 夫婦・家族の関係 |
|---|---|---|
| 1962年2月1日 | 高木ブーと福本喜代子さんが結婚 | 高木さん28歳、喜代子さん25歳 |
| 1964年1月2日 | 娘のかおるさん誕生 | 2人の間に一人娘が誕生 |
| 1964年 | ザ・ドリフターズに加入 | 妻が加入を後押ししたと回想 |
| 1969年10月 | 『8時だョ!全員集合』放送開始 | 高木さんの仕事が多忙に |
| 1985年9月28日 | 『8時だョ!全員集合』最終回 | 夫婦で過ごす時間を取り戻す契機に |
| 1990年1月 | クイーン・エリザベス2世号に乗船 | 夫婦にとって特別な旅行の思い出 |
| 1992年春 | 喜代子さんに脳腫瘍が見つかる | 闘病生活が始まる |
| 1994年3月25日 | 喜代子さん死去 | 58歳で夫と死別 |
| 2024年3月 | 喜代子さんの30回忌 | 高木さんが親族で集まったことを報告 |
| 2026年 | 高木さん93歳 | ウクレレや芸能活動を継続 |
妻の支えがあったからドリフターズへの加入を決断できた
高木さんは当初、自分のバンドを持っていたこともあり、ザ・ドリフターズへの加入に迷いがあったといいます。
当時の高木さんにとって、バンド活動を続けるか、新しいグループに参加するかは人生を左右する選択でした。
その際、喜代子さんは新しい挑戦を勧め、高木さんの決断を後押ししました。
結果的に高木さんは1964年にザ・ドリフターズへ加入。その後、『8時だョ!全員集合』などで全国的な人気を獲得していきます。
一方、人気番組への出演が続くにつれて、家庭で過ごす時間は少なくなりました。高木さんは後年、深夜に帰宅することが多く、娘の寝顔しか見られなかった時期もあったと振り返っています。
喜代子さんは内職をしながら家計を支え、夫が仕事に集中できる環境を整え、娘の子育ても担っていました。
【愛妻家エピソード】江戸川公園の散歩、ハワイ旅行、豪華客船の思い出
高木ブーさんが愛妻家として知られる理由は、夫婦で過ごした日常のエピソードにあります。
特に印象的なのが、『8時だョ!全員集合』終了後に始まった夫婦の新しい生活です。
毎朝6時、ペアルックで江戸川公園を散歩
1985年9月に『8時だョ!全員集合』が終了すると、高木さんは家族との時間を取り戻そうと考えました。
それまで長期間にわたって仕事中心の生活を送っていたため、夫婦でゆっくり過ごす時間を大切にしたいと思ったのです。
そこで始まったのが、毎朝の散歩でした。
2人は朝6時に起き、ペアのトレーナーを着て、自宅近くの江戸川公園まで歩きました。公園ではラジオ体操を行い、一緒に帰宅するのが日課だったそうです。
散歩中、高木さんが楽しみにしていたのは、喜代子さんとの何気ない会話でした。
特別な話題があるわけではなく、日常の出来事や身近な話を聞く時間です。
しかし、高木さんは妻の話を聞くうちに、これまで自分には家庭でゆっくり話を聞く時間がなかったことに気づいたといいます。
仕事が忙しかった時代を振り返り、もっと早く妻の話に耳を傾けていればよかったという思いも抱いていました。
夫婦で毎年ハワイ旅行を楽しむようになった
もう一つの愛妻家エピソードが、夫婦で続けたハワイ旅行です。
高木さんは『全員集合』終了後、妻を毎年ハワイに連れて行ってあげようと考えました。
ハワイは高木さんが音楽活動でも深い関わりを持つ場所です。ウクレレやハワイアン音楽を愛する高木さんにとって、夫婦で過ごす旅行は仕事とは違う特別な時間だったのでしょう。
2人にとって旅行は、単に観光を楽しむだけではありません。長い間すれ違っていた夫婦が、改めて一緒に過ごす時間を持つ機会でもありました。
1990年1月、クイーン・エリザベス2世号で過ごした一泊
高木さんが夫婦の思い出のなかで、特に大切にしているのが、1990年1月の豪華客船クイーン・エリザベス2世号での旅行です。
2人は船内でディナーや豪華なショーを楽しみ、一泊しました。
高木さんは、2020年の介護ポストセブンのインタビューで、この旅行を夫婦にとって一番の思い出として紹介しています。
特に大切にしているのが、当時の夫婦のツーショット写真です。写真の裏には、喜代子さんが自筆で「夢のようです」と書き残していました。
高木さんは、この写真を現在も大切に保管しています。
「僕は最高の伴侶に恵まれました」
これは高木さんが喜代子さんについて語った言葉です。豪華な旅行だけでなく、毎朝の散歩や何気ない会話までが、夫婦にとってかけがえのない思い出になっていたことが伝わってきます。
【妻との死別】喜代子さんは58歳で死去。死因は脳腫瘍だった
幸せな夫婦生活を送っていた2人に、突然の別れが訪れます。
喜代子さんに異変が現れたのは、1992年春のことでした。
いちご狩りの途中で訴えた体調不良
女性自身が2021年に掲載した高木さんのインタビューによると、2人が一緒にいちご狩りへ出かけた際、喜代子さんはめまいや吐き気を訴えました。
高木さんは当初、更年期による不調だろうと考えていたそうです。しかし、娘のかおるさんが検査を勧めたことをきっかけに、詳しい診察を受けることになりました。
そこで判明したのが、脳腫瘍でした。
医師からは余命5年と告げられたといいます。高木さんは、これからの時間をできる限り妻のために使おうと考えました。
妻のためにバリアフリーの新居を建てた
高木さんは、喜代子さんが車椅子で生活する可能性を考え、家を建て直すことを決意しました。
新居にはバリアフリー設備やホームエレベーターを設置。病院から外出許可が出た際には、建設中の家を妻に見せ、退院後の生活への希望を持ってもらおうとしていました。
喜代子さんも手術を受けるたびに、元気になって帰ってくると話していたそうです。
しかし、1993年秋に受けた3回目の手術後、状況が大きく変わりました。
手術を終えた喜代子さんは、体を動かすことも、話すことも難しい状態になってしまったのです。
高木さんは毎日病院へ通い、仕事の合間にも妻を見舞いました。言葉を交わせなくなった後も、目と目で気持ちが通じていると信じ、感謝の思いを伝え続けたといいます。
1994年3月25日、58歳の若さで亡くなる
喜代子さんは、1994年3月25日、58歳で亡くなりました。死因は脳腫瘍です。
余命5年と告げられていたものの、実際には診断から約1年8か月での別れとなりました。
高木さんは妻の死を人生で最もつらい出来事として振り返っています。
2023年1月の介護ポストセブンのインタビューでも、最愛の妻を亡くしたときは、このまま立ち直れないのではないかと思ったと語っています。
妻を失った悲しみは非常に大きく、当時は食欲が落ちるほど気持ちが沈んでいたそうです。
そんな高木さんを支えたのは、学生時代からの音楽仲間でした。落ち込んでいた高木さんに、再び一緒にハワイアンを演奏しようと声をかけたのです。
高木さんは少しずつ演奏活動を再開し、1996年にはソロアルバムをリリース。1998年には初のソロコンサートも開催しました。
妻との別れを経験したことは、高木さんの音楽人生にも大きな転機をもたらしたのです。
2024年に喜代子さんの30回忌を報告
喜代子さんの死後も、高木さんは妻への思いを公の場で語り続けています。
2024年3月18日、91歳の誕生日を迎えた直後に、高木さんは自身のInstagramを更新。妻とのツーショット写真を公開し、親族で集まったことを報告しました。
投稿では、喜代子さんの30回忌を迎えたことに触れ、次の33回忌を待たずに親戚で集まった理由も説明しています。
高木さんは、3年後に全員が集まれるか分からないため、久しぶりに親族で集まったという趣旨の言葉を記しました。
この投稿はデイリースポーツなどでも報じられ、30年以上前の夫婦写真とともに、妻を大切に思い続ける高木さんの姿が伝えられました。
2024年の投稿で使用された「高木喜代子」という名前も印象的です。結婚前の福本という姓ではなく、結婚後の夫婦としての名前で妻を紹介していました。
【2026年現在】高木ブーは93歳。妻の思い出とともに暮らす日々
2026年11月現在、高木ブーさんは93歳です。
喜代子さんはすでに亡くなっていますが、高木さんのなかでは今も大切な家族として存在しています。
娘のかおるさん一家と過ごす現在の暮らし
2023年の介護ポストセブンのインタビューで、高木さんは娘夫婦と孫を含めた4人で暮らしていると話していました。
娘のかおるさんが食事を作り、高木さんは自宅でウクレレを弾いたり、絵を描いたり、孫とギターの話をしたりして過ごしているそうです。
喜代子さんが亡くなった後も、娘との親子関係は深く、高木さんにとって家族は大きな支えになっています。
また、高木さんは娘と一緒に、家の中に喜代子さんの気配を感じることがあると語っています。
2023年のインタビューでは、娘と「今日、ママが家に来てたね」と話すことがあると明かしました。
これは高木さん自身が感じている妻への思いを表したエピソードです。長い年月が経過しても、喜代子さんを忘れず、家族の一員として大切にしていることが分かります。
93歳を迎えてもウクレレやライブ活動を継続
高木さんは2026年3月8日に93歳の誕生日を迎えました。
自身のInstagramでは家族に誕生日を祝ってもらったことを報告し、「93歳、100歳目指して頑張ります」と今後への意欲を示しています。
加えて、2026年9月25日には日刊スポーツが本人のSNS投稿を報道。「僕は元気でーす」と近況を伝え、美容院を訪れた際の写真も公開していたと紹介しました。
ウクレレやライブなど、音楽活動への意欲も保っています。
こうした現在の姿を見ていると、妻の喜代子さんが生前に支えていた高木さんの人生が、今も続いていることを感じさせます。
高木さんは過去のインタビューで、ウクレレ奏者として活動するようになったことについても、妻が生きていたら喜んでくれただろうという思いを語っています。
喜代子さんがドリフ加入を後押ししたように、妻との思い出は、その後の音楽人生にもつながっているのです。
【高木ブーの奥さん】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高木ブーの奥さんは誰ですか?
A1:高木ブーさんの奥さんは、福本喜代子さんです。2人は知人主催のダンスパーティーで知り合い、約5年間の交際を経て1962年2月1日に結婚しました。
Q2:高木ブーの妻の死因は何ですか?
A2:喜代子さんの死因は脳腫瘍です。1992年春に病気が判明し、複数回の手術を受けましたが、1994年3月25日に58歳で亡くなりました。
Q3:高木ブーは現在も妻のことを思っているのでしょうか?
A3:はい。高木さんは2020年、2023年のインタビューでも喜代子さんとの思い出を語っています。2024年には30回忌の親族の集まりをSNSで報告しました。2026年現在も93歳で活動を続けています。
まとめ:高木ブーと福本喜代子さんが築いた夫婦の絆は今も続いている
高木ブーさんの奥さんは、福本喜代子さんです。
2人は1962年2月1日に結婚し、ダンスパーティーでの出会いから始まった約5年間の交際を経て夫婦になりました。1964年には一人娘のかおるさんが誕生し、喜代子さんは洋裁の内職などで家庭を支えました。
高木さんがザ・ドリフターズへの加入を決断できた背景にも、妻の後押しがありました。
『8時だョ!全員集合』終了後には、毎朝の江戸川公園の散歩やハワイ旅行など、夫婦で過ごす時間を大切にするようになりました。1990年のクイーン・エリザベス2世号での一泊旅行は、今も高木さんが大切にしている思い出です。
しかし、喜代子さんは1994年3月25日に58歳で脳腫瘍のため亡くなりました。高木さんにとって、その別れは人生で最もつらい出来事の一つでした。
2024年には30回忌を迎え、親族との集まりや夫婦の写真を通じて、妻への思いを改めて伝えています。
2026年現在、高木さんは93歳。家族に支えられながら、ウクレレや芸能活動を続けています。
高木ブーさんと喜代子さんの夫婦関係を知るうえで大切なのは、単に長年連れ添ったという事実だけではありません。仕事が不安定だった時代から夫を支え、成功後には夫婦で日常の幸せを取り戻し、別れた後も思い出が家族のなかに残り続けていることです。
高木さんが大切にしている豪華客船の写真や、妻への「結婚してくれてありがとう」という思い。その言葉には、30年以上が経過しても変わらない夫婦の絆が表れています。