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【原点】荒川静香のトリノ五輪金メダルがフィギュアスケートを始めたきっかけ

御影 凪 御影 凪 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
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小芝風花がフィギュアスケートに興味を持ったきっかけは、2006年のトリノオリンピックだった。荒川静香が女子シングルで金メダルを獲得したことが、幼い小芝の人生を大きく変えることになる。

2025年2月28日放送のNHK「あさイチ」に出演した小芝は、競技を始めた当時のエピソードを振り返っている。周囲の母親たちから「風花ちゃんはスケートに向いていそう」と話が出たことをきっかけに、みんなでスケートリンクへ遊びに行ったという。

実際に氷の上に立つと、その楽しさに夢中になった。小芝自身も、最初は別の習い事をしていたものの、スケートを続けたいと希望したことを明かしている。

母親から見ても、小芝は怖がることなくスイスイ滑っていたという。こうした幼少期の適性と本人の意欲が重なり、単なる習い事ではなく、競技として本格的に取り組むようになった。

注目したいのは、荒川静香の金メダルが単なる憧れの対象にとどまらなかった点だ。実際にリンクへ足を運び、自分で滑る楽しさを知ったことが、その後約5年間にわたる競技生活の出発点になった。

【競技歴と成績】小学3年から中学2年まで!西日本8位の実力とは

小芝風花フィギュアスケート

小芝風花のフィギュアスケート歴は、小学3年生から中学2年生までの約5年間。本人の過去のテレビ出演やインタビューによると、練習は非常に本格的で、将来有望な選手が参加する合宿にも呼ばれていた。

トリプルトゥループを跳べるほどの技術力

2021年1月22日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」では、当時のフィギュアスケート映像が紹介された。小芝はトリプルトゥループを跳べる選手だったことも取り上げられている。

トリプルトゥループは、後ろ向きに滑りながらトウを氷に突いて踏み切り、空中で3回転するジャンプだ。フィギュアスケートのジャンプの中でも技術的な難度が高く、習得には相応の練習が必要になる。

加えて、14歳頃の大会映像ではダブルアクセルなどの演技も紹介されている。ダブルアクセルは前向きに踏み切るため、ほかの2回転ジャンプより半回転多い2回転半が必要になる技だ。

こうしたジャンプに取り組んでいたことからも、小芝が基礎的なスケーティングだけでなく、競技者として技術を磨いていたことが分かる。

西日本ジュニア選手権8位という実績

小芝の競技成績で特に知られているのが、西日本で8位に入ったという実績だ。2025年2月28日の日刊スポーツは、NHK「あさイチ」での本人の発言を紹介し、西日本8位の成績を残したと報じている。

また、スポニチ系の報道では、西日本ジュニア選手権8位という具体的な大会名で紹介されている。

ここで押さえておきたいのは、この8位という成績は西日本地域の大会に関する実績であり、全日本選手権やオリンピックの順位を意味するものではないことだ。それでも、ジュニア世代で競技を続け、上位の成績を残していたことは、小芝のスケート経験を語るうえで重要な事実である。

練習は毎日、長い日は1日7時間

競技生活を支えたのは、相当な練習量だった。

2021年の「徹子の部屋」出演を伝えたテレビ朝日POSTや毎日キレイの記事によると、小芝は毎日のようにスケートリンクへ通い、時には1日7時間も練習していたという。

これは単にリンクで滑るだけの時間ではない。フィギュアスケートはジャンプ、スピン、ステップ、音楽に合わせた表現など、複数の技術を組み合わせる競技だ。継続的な練習と身体づくりが欠かせない。

オリンピック出場を夢に掲げていた小芝にとって、スケートは生活の中心にある存在だった。

【関係者と転機】母親の手作り衣装から浅田真央のCMまで

小芝風花のフィギュアスケート時代を語る際、欠かせないのが家族の支えだ。特に母親は、競技生活を経済面と日常生活の両方から支えていた。

母親がすべて手作りしたフィギュア衣装

フィギュアスケートは、リンクの使用料やレッスン費用、遠征費、衣装代など、競技を続けるための負担が大きいスポーツだ。

小芝の母親は、レッスン費用などがかかることを考え、競技衣装をすべて手作りしていたという。2021年の「徹子の部屋」出演時に紹介されたエピソードでは、毎回工夫を凝らした衣装を用意してくれた母親への感謝が語られている。

小芝自身も、母親が作ってくれた衣装を着て試合に出ることを楽しみにしていた。衣装は単なる競技用の道具ではなく、厳しい練習を続ける本人の気持ちを支える存在でもあった。

浅田真央のCMが芸能界入りのきっかけに

競技生活に打ち込んでいた小芝に、もう一つの夢が生まれる。

それが、フィギュアスケート選手として活躍していた浅田真央のテレビCMだった。

小芝は2013年12月のオーディション・デビューのインタビューで、浅田真央がスケートを滑るCMを見て、自分も同じようなCMに出演したいと思ったことを明かしている。

「私もこういうCMに出てみたいなー」

この言葉を聞いていた姉が、オーディション雑誌を買ってきたことが次の転機になった。雑誌に掲載されていた「ガールズオーディション2011」を見つけ、応募を勧めたのである。

小芝はそれまでオーディションを受けた経験がなく、母親にも知らせずに応募したという。書類審査を通過した連絡が母親に届き、初めて応募の事実が分かったというエピソードも残っている。

ガールズオーディション2011で約3万5000人の頂点に

2011年11月13日、イオンとオスカープロモーションによる「ガールズオーディション2011」の全国大会が開催された。

当時14歳、中学2年生だった小芝は、応募総数3万5390人の中からグランプリを獲得。芸能界への道を切り開いた。

以下に、フィギュアスケートから芸能界入りまでの関係者と出来事を整理する。

人物・要素 小芝風花との関係 主な出来事・役割 荒川静香 競技を始めるきっかけ 2006年トリノ五輪の金メダルがスケートへの関心につながった。 母親 競技生活の支援者 送り迎えや応援を担当し、衣装も手作りした。 浅田真央 芸能界を意識するきっかけ 出演CMを見て、自分もCMに出たいと思った。 姉 オーディション応募の後押し 小芝の希望を聞き、オーディション雑誌を購入した。 オスカープロモーション 芸能界入りの窓口 ガールズオーディション2011を開催し、小芝がグランプリを獲得した。 TopCoat 現在の所属事務所 2025年1月から所属し、俳優活動を継続している。

この経緯を見ると、荒川静香が競技への入口を作り、母親が競技生活を支え、浅田真央が芸能界への憧れを生み、姉が実際の応募につなげたという流れが見えてくる。

一人の女優が誕生するまでに、フィギュアスケートを通じた複数の人との出会いが関わっていたのである。

【なぜ辞めた?】オリンピックを夢見た小芝風花が競技を引退した理由

フィギュアスケートを本格的に続けていた小芝が、なぜ中学2年生で競技を離れたのか。理由は、芸能界入りが決まり、二つの道を同時に追うことが難しくなったためだ。

もともとはスケートのコーチを目指していた

2013年12月の日刊ゲンダイのインタビューでは、小芝は当時の将来設計について、大学を卒業するまでスケートを続け、その後アイスショーに出演し、最終的にはコーチになりたいと考えていたことを語っている。

つまり、スケートを一時的な習い事として考えていたわけではない。競技者として成長し、その後もスケートに関わる人生を思い描いていた。

芸能活動との両立が難しかった

しかし、オーディションでグランプリを獲得したことで状況が変わる。

2021年8月に出演した関西テレビ系「おかべろ」では、芸能界入り当時の事情について、芸能活動のレッスンが週6日あり、フィギュアスケートとの両立は難しかったと振り返っている。

加えて、競技では青あざができることもあり、仕事との兼ね合いを考える必要があった。本人の説明によれば、どちらか一方に集中しなければならない状況だった。

ここで重要なのは、フィギュアスケートが嫌になって辞めたという話ではないことだ。オリンピックを目指すほど熱中していた競技だったからこそ、芸能界で活動するためには大きな決断が必要だった。

競技を辞めた経験は俳優としても生きている

興味深いのは、芸能界入り後もフィギュアスケートの経験が役立っている点だ。

2013年には、テレビ東京系スペシャルドラマ「スケート靴の約束~名古屋女子フィギュア物語~」に出演。フィギュアスケート経験を生かせる役柄に喜びを感じたことを、当時のインタビューで語っている。

出演が決まってから撮影まで約2週間という短期間で、改めてスケートを練習したという。

競技者として積み重ねた経験は、俳優としての表現にもつながった。スケートを辞めたことは競技人生の終わりではあったが、それまでの努力まで失われたわけではなかった。

【2026年最新】小芝風花は現在もフィギュアスケートをしている?

2026年11月現在、小芝風花はフィギュアスケートの競技選手ではなく、俳優として活動している。

所属事務所TopCoatの公式プロフィールでは、1997年4月16日生まれ、大阪府出身と紹介されている。2025年1月にTopCoatへ移籍して以降も、テレビドラマや映画など幅広い分野で活動を続けている。

2025年から2026年にかけての主な出演作

2025年にはNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で花の井(五代目瀬川)役を演じた。また、TBS系「19番目のカルテ」では滝野みずき役、Amazon Originalドラマ「私の夫と結婚して」では神戸美紗役を務めた。

2026年にはNHK夜ドラ「事件は、その周りで起きている3」で主演の真野一花役を担当。加えて、NHK BS時代劇「あきない世傳 金と銀3」でも主演の幸役を務めた。

所属事務所の公式スケジュールには、2026年12月26日のBSP4Kでの放送が予定されている「あきない世傳 金と銀 完結編」も掲載されている。BSでは2027年1月1日の放送予定だ。

2026年には橋田賞も受賞

2026年の活動を語るうえでは、第34回橋田賞の受賞も見逃せない。橋田文化財団の公式受賞者リストには、小芝風花の名前が掲載されている。

フィギュアスケートに打ち込んでいた少女は、現在、幅広い役柄を演じる俳優として評価を積み重ねている。

なお、2026年11月時点の所属事務所の公式プロフィールには、競技選手としての活動や競技復帰の発表は掲載されていない。現在の小芝を理解するうえでは、過去のスケート経歴と現在の俳優活動を分けて捉えることが大切だ。

【プロの結論】小芝風花のフィギュアスケート経歴から分かる3つのこと

小芝風花のスケート経験は、単なる芸能人の意外な特技という範囲を超えている。約5年間の競技生活、西日本での入賞、難度の高いジャンプへの挑戦、そして家族の支援という具体的な背景がある。

1. 西日本8位は競技に打ち込んだ証拠

小芝の実績を評価する際には、大会の規模と順位を正確に理解する必要がある。西日本8位という実績は立派な競技歴の一部だが、オリンピック出場経験や全日本選手権の上位入賞と混同してはいけない。

一方、トリプルトゥループやダブルアクセルに取り組み、有望選手向けの合宿にも参加していたという経歴は、競技への本気度を裏付けている。

2. 芸能界入りはスケートを捨てた結果ではない

浅田真央のCMに憧れ、姉の勧めでオーディションに応募したという流れは、小芝自身が過去のインタビューやテレビ番組で語っている。

芸能界入りは、スケートへの興味が突然なくなった結果ではない。競技を続ける将来を思い描いていた少女が、新しい可能性に出会い、別の道を選んだ転機だった。

3. スポーツ経験は俳優としての財産になった

フィギュアスケートでは、身体の動きだけでなく、音楽に合わせた表現力や、緊張する本番で実力を発揮する精神力も求められる。

こうした競技経験が、現在の小芝の演技にどの程度影響しているかを数値で測ることはできない。ただ、2013年の「スケート靴の約束」のように、実際に経験を生かした仕事が生まれていることは確かだ。

また、本人が過去のインタビューで語った、フィギュアスケートでジャンプを決めたときと、芝居でOKをもらったときの喜びが似ているという話も印象深い。競技と演技は異なる分野でありながら、努力を積み重ねて成果を得るという点で共通している。

小芝風花の経歴を調べる際は、次の3点を判断基準にすると情報を整理しやすい。

- 競技実績を知りたい場合: 西日本8位、トリプルトゥループ、ダブルアクセルなどの報道を区別して確認する。
- 芸能界入りの理由を知りたい場合: 浅田真央のCM、姉のオーディション雑誌、2011年のグランプリ獲得という順序を押さえる。
- 現在の活動を知りたい場合: 過去のフィギュアスケート映像ではなく、TopCoatの最新プロフィールや出演情報を確認する。

【小芝風花のフィギュアスケート】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:小芝風花は何歳から何歳までフィギュアスケートをしていた?

A1:小学3年生から中学2年生までの約5年間です。オリンピックを夢見るほど本格的に競技に取り組んでいました。

Q2:小芝風花のフィギュアスケートの成績は?

A2:西日本で8位に入った実績があります。報道では西日本ジュニア選手権8位とも紹介されています。また、トリプルトゥループを跳べる技術があり、ダブルアクセルなどを披露した映像も紹介されています。

Q3:小芝風花がフィギュアスケートを辞めた理由は?

A3:2011年のガールズオーディションでグランプリを獲得し、芸能活動を始めたためです。週6日のレッスンなどがあり、競技との両立が難しくなったことから、芸能界での活動に専念する道を選びました。

Q4:小芝風花がフィギュアスケートを始めたきっかけは?

A4:2006年のトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲得したことです。周囲の母親たちからスケートに向いていそうだと言われ、リンクへ遊びに行ったことが始まりでした。

Q5:芸能界入りのきっかけは浅田真央?

A5:はい。浅田真央が出演するスケートのCMを見て、自分もCMに出たいと思ったことがきっかけです。その話を聞いた姉がオーディション雑誌を購入し、ガールズオーディション2011への応募につながりました。

Q6:小芝風花の母親はフィギュアスケートの衣装を作っていた?

A6:はい。レッスン費用などの負担を考え、競技で使用する衣装をすべて母親が手作りしていたと、本人が「徹子の部屋」などで明かしています。

Q7:2026年現在、小芝風花はフィギュアスケートに復帰している?

A7:2026年11月現在、競技選手として復帰したという公式発表はありません。現在はドラマや映画などを中心に俳優として活動しています。

まとめ:小芝風花のフィギュアスケート経験は現在の活躍につながる原点

小芝風花のフィギュアスケート経歴を振り返ると、小学3年生から中学2年生までの約5年間、オリンピックを目指して本格的に競技に取り組んでいたことが分かる。西日本8位という成績や、トリプルトゥループを跳べる技術、時には1日7時間にも及んだ練習は、その努力を物語っている。

競技を始めたきっかけは荒川静香のトリノ五輪金メダル。そして、芸能界入りのきっかけは浅田真央のCMだった。母親の手作り衣装や姉の後押しも含め、フィギュアスケートを通じて生まれた家族との思い出や出会いが、人生の大きな転換点を形作っている。

2011年のガールズオーディション2011でグランプリを獲得した小芝は、競技生活に区切りをつけて俳優の道へ進んだ。2026年には橋田賞を受賞し、ドラマ「事件は、その周りで起きている3」や「あきない世傳 金と銀3」などでも活躍している。

フィギュアスケート選手としての夢は競技を離れることで一区切りとなった。しかし、そこで身につけた技術や努力を続ける姿勢は、現在の俳優活動にもつながる大切な原点だ。小芝風花のこれからの作品を楽しむ際には、氷上で夢を追いかけていた少女時代にも目を向けてみたい。

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